日本の民族音楽研究者小泉文夫さんの本が非常に面白かったので紹介します。
一応プロフィールを載せましょう。1983年に亡くなっており、話としては古くなってしまったものが多いですが、それでも楽しく面白く読み進められました。
東京出身。府立四中を経て東京大学文学部美学科へ入学。在学中に日本音楽学に関心を持つ。卒業後は、東京大学大学院人文科学研究科美学専攻課程に籍を置きながら平凡社に勤務。邦楽や東南アジアや中近東、アフリカ音楽に興味をもち、日本の伝統音楽の研究やNHK交響楽団機関誌の編集委員などを務める。1957年にインドに留学しインドの古典音楽や民族音楽の調査を行う。1959年から東京芸術大学の教員となり、日本を始めとして、世界中の民族音楽の調査や研究に従事。その傍ら、NHK-FMの「世界の民俗音楽(後の「世界の民族音楽」)」の番組の担当や、NET(現テレビ朝日)の「世界の音楽」などにも出演するようになる。
学者さんの本なのでマジメで学術的な話が多そうだと思ってたんですが、彼の訪れた国の話、楽器の歴史の話、テープレコーダーを持ち歩いて民謡を集める話など、読み物として面白かったです。いわば星新一のショートショートのような気分で楽しく読めました。
この『エスキモーの歌』は何度か違う本に再録されているようで、私が図書館で借りてきたものは1978年の最初のもののようです。そのため版によっては内容が異なるかもしれませんが、印象に残った部分をすこしだけ紹介したいと思います。
私がこの本に興味を持ったのは、『21世紀中東音楽ジャーナル』という素晴らしい本を執筆したサラーム海上さんがこの本の話をされていたからです。小泉さんは西洋音楽一辺倒な日本の音楽教育に違和感を持っていたそうで、『エスキモーの歌』の中で次のようなことを言っている、という話を見たのがきっかけです。
「エスキモーの子供たちは、日本の子供と同じように強引な西洋音楽一辺倒の方針のもとに萎縮し、おとなしく努力し、やがて下手なゴーゴーを踊るようになるだろう。(中略)まだ民謡の段階にまでしか発達していなかった彼等の伝統が、この地上から本当に消えていくのである。」同書引用
— サラーム海上 (@salamunagami) December 21, 2013
この本の中でも、素晴らしい民族音楽を歌う方が、西洋音楽はうまく歌えないという現象(?)が何度か書かれています。小泉さんの『おたまじゃくし無用論』の中でこの点について詳しく書かれているそうなので、機会があれば読んでみます。
小泉氏にこのような本を書かせたのは、彼が世界に民族音楽を訪ね歩くうちに、各民族の生活と密着した生き生きとした歌や音に触れ、それが長い自分たちの伝統に根付いているということを自らの肌で感じ、日本に戻ってきたときこうした音楽が国家が制定した一律の西洋音楽の基準に基づいた義務教育によって、ことごとくなし崩し的に壊されてしまっている現実に直面したからだろう。
こういった彼の思想だけでなく、彼が訪れた国の様々な民族の暮らしぶり、様々な楽器が発展した歴史、様々な思いつきなど、1~2ページで終わるような、もう少し気楽なエッセイもありました。
例えばこんな話。「土と民族 キングリームリダンガム」という次のように始まります。
今、飲んでおくがいいどうせ、死ねば土になる
その土で杯を作り、また誰かが飲む
君のことなど、考えずに
ペルシャの詩人、オマル・ハイヤームがこう詠んだ。私がこの詩を聞いた時、ちょうど砂漠を旅行して帰ってきた翌日だったので、この詩の意味がよくわかった。
日本人にも「…の土になる」という表現がありますが、なんとなく自分の家や田畑、自分の行いが「子孫に伝わっていく」という発想があります。荒野に住むイラン人は、カマドや皿を土で作りますが、数十年後には風化しているといいます。そんな言葉のニュアンスや考え方の違いの話もあります。(この後、土で作った楽器についての話が始まります)
もっと気楽なところで印象に残ったのは「ビルマの四日間」という章。この話の最後に女性の同僚と一緒にいたところを「恋人どうしが満月の夜に愛をささやいている」と勘違いされ、あてつけに地元のビルマ人に石を投げられ歌をうたいだされたときのこと。
小泉文夫、女性の同僚と一緒にいる勘違いされてビルマ人に歌でからかわれても、「七音音階だし、メリスマが美しい」とか言ってる
— 黒めだか (@takeshi0406) January 12, 2014
「僕にはとてもすばらしい歌に聞こえる」といってそれなりに楽しみ始めました。こういうポジティブというかのんきというか、前向き(?)なニュアンスがどの話にも感じられます。
他にも「楽器の経済学」という章では、「楽器の効能を数値化すると、いちばん値段に対して効率がいいのはおそらくシタールだろう。四千円で普通品、一万円あればプロ級のものが買える。」という話を、他の楽器と比較しながら延々としたあげく、「私にはこの理論は不要である。なぜならこれを考える前に全て買ってしまったから」と締められます。一体なんやっちゅーねん!
このように(?)、この「エスキモーの歌」は気軽に読めて、いろいろな興味深い話を知ることができる非常に面白い本でした。エッセイ風な書き方なので、不思議と民族音楽や楽器の知識がなくても大丈夫でした。ぜひ皆々様にも読んでいただきたく。
他の著書もぜひ読んでみようと思います。
エスキモーの歌 (2012/10/10) 小泉文夫 商品詳細を見る |