こちらの記事に、「渋谷系から電波ソングが受けた影響や類似性」があって非常に面白いです。私の記事も引用して頂いていて嬉しいです。
ということで、君は天然色の記事では軽く触れたくらいだったが、今回はいかにして大滝詠一的価値観が電波ソングに入り込んでいるかを詳しく見ていきたいと思う。
こんなタイトルだけれど、僕の現時点での日本サブカルポピュラー音楽史観のまとめ記事でもあるよん。
Redditにも共有してみました。
A history of how Denpa songs have been influenced by Shibuya-kei : denpa
私自身、アニクラなどでDJをする際にNeko Mimi Modeを使いこなせていなかったので参考にして調べてみます!
ただ、友達と話していていくつか気になった点もあったので、後で調べるためにメモしておきます。いろいろ疑わしいことが書かれていると思うので、詳しい方がいたらコメントください。
渋谷系は本当に電波ソングに大きな影響を与えたのか?
根拠として挙げられているのがこの2点です。
- 電波ソングの代表的な楽曲の一つであるNeko Mimi Modeが渋谷系から影響を受けており、また作曲者のDimitri from Parisを経由してフレンチテクノは渋谷系の影響下にある
- 電波ソングにも大きな影響を与えたYMOが、渋谷系に大きな影響を与えた
Neko Mimi Modeについて
実は作曲者のディミトリ氏は非常に渋谷系との相互影響が強く、いわゆるカーディガンズのように国内で渋谷系リスナーに受容され、本人も渋谷系アーティストを意識している。
また、彼の影響によりフレンチテクノはその後も後期渋谷系の影響下にあるとも言われ、Daft Punkにその類似性を指摘する声もある。
このあたりの話、全然知らなかったので嬉しいです。たしかにアキシブ系のアーティストにも挙げられてました。
ただ、Neko Mimi Modeは電波ソングと呼ばれている楽曲の中でもかなり異彩を放っていて、影響を受けた曲やアーティストは案外少ないと思っています(単なる感覚値ですが…)
あべにゅうぷろじぇくとの『生意気☆いちごミルクDAYO!!』など、(おそらくNeko Mimi Modeからインスパイアされて)一部ボイストラック的な楽曲はありますが、主流ではないと思います。
YMOの影響について
個人的には渋谷系経由ではなく、テクノポップ経由でYMOの影響があるんじゃないかと思っています。2007年に彼らの音楽がニコニコ動画でヒットして以降、過度に音を詰め込んだ、現在あるような「電波ソング」のイメージが確立されました(と私は考えています)。
彼らはテクノポップやニューウェーブの影響が強く、YMOの影響を受けているのはそこからのほうが大きかったんじゃないかと思います。少し系譜を戻ると、細江慎治さんなどのゲーム音楽のクリエイターがいます。畑亜貴さんのバンドなどとも近い関係で活動していたようです(が、あまり私も追えていません)。以下にある通り、細江慎治さんはYMOから強い影響を受けています。
本業のゲームミュージック作曲の傍ら、1992年にインディーズレーベル「トルバドールレコード」を相原隆行らと設立。テクノポップバンド「まにきゅあ団」やYMOのパロディバンド「OMY」、初期のリッジレーサーシリーズのサウンドを手がけてきたメンバーによるユニット「Sampling Masters」、民安ともえらとのユニット「テクノライダー」等のバンド活動も行っている。さらにイベントなどではテクノDJとしても活躍している。
つまり、「電波ソングは、ゲーム音楽バンドのクリエイター経由または直接的にYMOの影響を受けた」度合いのほうが大きいと考えられるので、むしろ渋谷系と兄弟のような関係なんじゃないでしょうか?ただテクノポップと渋谷系も相互に影響を与えあっていたそうなので、その点では影響を受けていたとは思いますが。
ただ、「奇異ではあるが耳に残る効果音や合いの手、掛け声」の原点であるI've Soundの電波ソングは、ハロープロジェクトのパロディとして作られていたらしく、そちら経由などの別ルートで渋谷系の影響はあるのかもしれません。
高瀬氏「いやー、思い入れはありますよ。いろいろ苦労もしましたし。今でこそ、ファンの皆さまからご好評いただいているI'veの「ソレ系」ソングですが、『恋愛CHU!』が最初の電波系なんですよね。クライアントであるサガプラネッツさんから、『恋愛CHU!』のサンプルとしていただいたのが実はミニ●ニでして(笑)。中沢(※6)と一緒に聴いたんですが、こりゃ俺にはできないわ! って中沢に振っちゃったんです。それで、曲が上がってきて、KOTOKOちゃんが詞をつけてみたら……なんかチュッチュチュッチュとか間奏にセリフとか。呆然としました」
友達によると、ハロプロも渋谷系から影響を受けていたそうです。時系列は前後しますが、これはかなり渋谷系っぽいです。
個人的には電波ソングは、音楽ジャンルとしては「ゲーム音楽のクリエイターがテクノポップやニューウェーブを作っていた」血統があって、そこに「I've SoundのSHORT CIRCUITの作品群によってJ-POPのパロディとして過度なポップさや合いの手(UNDER 17も位置づけとしてはここ?)」が取り込まれ、「MOSAIC.WAVやIOSYSが音を過激に盛って」確立したジャンルだと思っています。これは何を主流と見るかで意見が分かれそうですが。
現在のシティポップブームは日本と海外で別個に始まったのではないか?
ちなみに現在流行中のシティポップだが、あれはFuture FunkというVaporwaveとフレンチテクノの合いの子が頻繁にサンプリングしたことに端を発し、さらにさらにVaporwaveも後期渋谷系の影響があると言われる。
すなわち、元を遡りまくれば大滝詠一がいなければ今のシティポップブームはまずない。
もしこれが「日本で流行っている」という意味なら、「海外で流行り始めたFuture FunkやVaporwaveとはあまり関係なく生まれたもので、むしろ日本のシティポップブームのほうが先」のようです(って友達が言ってました)。
現在流行中のシティポップは一般的にはsuchmos, ぬるばりっち(スペル忘れた)とか
suchmosはちゃうか。sirupとか
その辺りの人が山下達郎とか細野晴臣とか大滝詠一を影響受けた人に上げてるから、そのリバイバルと言えるだろうね。
その記事にも書いてあるけど、アシッドジャズも混ざってるよね
竹内まりやのPlastic LoveがYouTubeを介して再評価されたのは2017~2018年頃だっただし、これらのバンドはそれ以前から活動しているので、たしかに日本と海外のシティポップの盛り上がりは別物なんじゃないかと思われます。あーでもSAINT PEPSIの作品は2012年なのか、これちゃんと調べないと分からんな。
後続のアーティストやレーベルが現れる中、2012年末にSAINT PEPSIが発表した『EMPIRE BUILDING』や『Hit Vibes』などのディスコ・ファンクに傾倒した作品は衝撃を呼び、フューチャーファンク・ヴェイパーブギといったサブジャンルへと派生することになった
結論
影響元や歴史を探ろうとするとスパゲッティみたいで分からん。誰か一緒に調べてください。