直近の記事(「なぜ電波ソングはあんなに自由だったのか」)では、フィクションが緩衝材となって解放的で、例えば女性の一人称的に接続できる歌詞(恋愛観とか)が入り込んで、意外に多様なファンを獲得した一因になったんじゃないかと考えました。ただ一方で、電波ソングは はばかられソング だという話もあって、こちらはもうちょっと露悪的な悪ノリの面があると思います。
この間出演したイベントも、(電波ソングとは銘打って無いものの)悪ノリの色が強いイベントでした。
おそらく電波ソングの出自は、モモーイ的な「萌えソング」と、もっとネットの悪ノリのCringe pop的の混合物だという気がしていて、もう半分を主軸に語るとどうなるかって話を考えてみたいです。
ただ、今回はあまり結論めいたものはなくて、単に「調べてみた」レベルの記事になってます。調べたあとのChatGPT。
はばかられソング史観のメリット
まず、「はばかられソング」の語り口が、「遊びの空間があってキャラクターを介して自由な感情を表明できたから」という語り口(便宜的に「萌え史観」と呼びます)に比べて、次のようなメリットがありそうです。by ChatGPT
はばかられ史観は、魔法円が見落としがちな「外部の視線」と「身体的羞恥」を取り込み、電波ソングを“赤面の祝祭”として活写する。
表のまとめ。
# メリット どう優位に働くか 具体的帰結 1 受容=身体反応を中心に据える “恥ずかしさで頬が熱くなる”という生理レベルの指標なので、
時代・プラットフォームが変わっても比較がしやすい- 聴衆調査やSNS投稿の言語分析で定量的な電波度グラフを作れる
- メタ議論に偏りがちな魔法円論より実証研究に向く2 外部視線を可視化する 「公共空間で再生できる/できない」を物差しにするため、
社会規範やコンプラ変化をダイレクトに捉えやすい- 同じ曲でも時代によって“電波⇆普通”が揺れ動く
- メジャー化以後の揺らぎを動態的に説明3 コミュニティ生成メカニズムが読み取れる “恥を笑いに変換して共有する”行為が仲間意識を強化する - 電波DJイベントでのコール&レスポンスや
ニコ動コメ文化を「集団的赤面の祝祭」として分析可能4 他ジャンルとの比較移植が容易 “Cringe Pop”“ネタ曲”“VTuberの切り抜き羞恥”など、
「憚られ」をキーに多様な現象と接続できる- 電波ソングを国際ポップのCringe系統図に配置できる
- 跨線的な文化翻訳が進む5 魔法円の内外を橋渡し 魔法円が示す“内なる自由”と、はばかられが示す“外からの視線”を両面で測定できる - 「緩衝材で守っても、赤面が消えた瞬間に電波度は低下する」という二重境界モデルを提案できる
ただ、「はばかられる」っていうのは外の視線が基準になっている比重が大きいと思います。そのため、外の世界の基準が変わると笑いとして受け入れられるかも変わるだろうし、ChatGPTの回答の中にあるように「結局は男性側のスリルとして機能」してるだけじゃないかって点は耳が痛いです。
“聴いたら赤面”の笑いが、結局は男性側のスリルとして機能しがち。批判的距離を取らなければ既存のジェンダー構造を温存する repository.usfca.edu
また、ファンの側が慣れてしまって「はばかられ」なくなっていく傾向もあるかもしれません。電波ソングの例じゃないですが、例えばBEAT CRUSADERSってバンドが下品なコール&レスポンスをしていて次のようなこと言ってるのを思い出しました。
ヒダカ:ライブでの「おま○コール」も最初いやがらせでやってたのが、最近は女の子にも受け入れられちゃって困ってます。早く新しいいやがらせを考えないと(笑)。でも、もともとロックやパンクって親が聴いていやだなと思うようなものじゃないですか。非常階段をラジオでかけたらディレクターに止めてくれと言われるような。そういう意味では、今後もどんどん毒を盛っていくんで、みんな、俺達がただのお面をかぶった面白い人達だと思ってると痛い目あうからな!(笑)
コメディの倫理
あえてはばかられるものをテーマにコメディを扱うにしても、例えばDJやるにしても、どこかで倫理的なラインは引いておく必要があるんじゃないかと思いました。
〈はばかられ〉倫理を支える3本柱
2‑1. “パンチアップ”の原則
- からかう対象は「権力側」と決める。
- 例:ミソジニー的発言を露悪的に誇張して笑いものにすることで、むしろ加害構造を可視化する。
- 逆に、マイノリティや被害当事者への“パンチダウン”は即アウト。
2‑2. 当事者協働(co‑creation)
- 制作・DJ現場に女性・クィアのクリエイター/リスナーを常時巻き込む。
- “自分が言われたらどう感じるか”を即時フィードバックできる環境が、最大の倫理ブレーキ。
- 周辺領域では、マリコ・モリなどが作品内で自分自身を被写体にしつつジェンダー構造を批判している例があり、参考になる Aperture 。
2‑3. 羞恥⇆批評のダブルコード
- ARM流〈はばかられ〉の強みは“赤面”という身体反応を指標に社会規範の揺らぎを測定できる点。
- そこで立ち止まらず、曲中やMCでメタに解説/異議申し立てを入れ、笑いを批評へ接続する。
- 例:曲のブレイクで「これが不快なら社会がこうだからだよね」とセルフツッコミを挟む(“If you’re offended…” 型の歌詞手法)note(ノート) 。
まず、パンチアップ、パンチダウンの原則は面白いです。
- 哲学者 Emily McTernan『The Ethics of Offensive Comedy』(2025)—コメディアンには「パンチダウン回避の義務」があると明言 discovery.ucl.ac.uk
- その公開シンポ要旨(Royal Institute of Philosophy Supplements)で具体的事例を検討 Cambridge University Press & Assessment
つまり、電気グルーヴもけっこう悪ノリなアーティストですが、例えば「人間大統領」も笑いの矛先がトランプ大統領や自分たち自身の不穏さに向かっていて、この点でも評価できるんじゃないかと思います。
例えば問題のある表現には気をつけなきゃいけなくて、お笑いの世界でもそういう内容が議論されているようです。
ただ興味深いのが、お笑いライブのお客さんは女性が多いのに、女性を差別するようなネタに笑っている。そこが難しいですね。社会の雰囲気がそうなっているんでしょうね。タブーに突っ込まないと面白くないという考えがあるから、お笑いは、外見をばかにするなど、ブラックな内容になりがちです。お笑いをやっていて思うことは、自分でもそういう風潮を変えていかなくてはと感じながらも、お客さんにウケるために女性差別的なネタを演じざるを得ないということです。
インターネットの露悪趣味の悪影響
また、我々が扱う露悪的なネタが、ほぼ90年代の雑誌からアップデートされてない(できてない)のかもしれません。オウム真理教はネタにできても、それより現代で危険性の高い団体はネタにすることが少ないし…。
ネットの歴史を取り上げた『僕たちのインターネット史』(亜紀書房)でライターの、ばるぼらは「90年代雑誌文化のサブカルの流れをコンピューター文化のサブカルが引き継いだ」と指摘する(※1)。同書ではアメリカのインターネットにはヒッピー思想に端を発するカウンターカルチャーの影響が強く存在したのに対し、日本ではその思想が浸透しなかったと整理されている。その代わり日本のネット空間にはゴシップ雑誌同様のエロや悪趣味系のネタがあふれるようになる。
また、「Benign-Violation Theory」で悪が無害化すると笑えるって点、憚れることが連帯感を生むという点はたしかに興味深い論点だと思います。
機能 具体例 理論的補助線 ① ベニグン違反=“安全な背徳”の快感 スカトロや未成年性表現をコミカルなデフォルメで提示 Benign-Violation Theory(「悪+無害」が同時成立すると笑いになる)を用いた近年の倫理分析 ② パワー構造の可視化 権力者の差別発言を露悪的に誇張→笑いものにするスタンドアップ Punch-Up/Down規範——弱者いじりは禁忌、強者批判は風刺として正当化 ([Cambridge Core][1]) ③ クライング(羞恥共有)効果 “観客が赤面するほどの際どさ”で連帯を生む〈はばかられソング〉 Vicarious Embarrassment が“社会的センサー”として働くという心理学研究 ([MDPI][2]) ④ バッドテイストの自己批評 アートユニットが自覚的に“悪趣味を指差す”制作会議 露悪が“他人の嫌悪を操るメタ遊戯”だと語る座談会 ([DOZiNE][3]) [1]: https://resolve.cambridge.org/core/journals/royal-institute-of-philosophy-supplements/article/ethics-of-offensive-comedy-punching-down-and-the-duties-of-comedians/A5B6FAAD512460544CB5A4D3127DE96A?utm_source=chatgpt.com "The Ethics of Offensive Comedy: Punching Down and the Duties of ..."
[2]: https://www.mdpi.com/2076-0787/10/4/110?utm_source=chatgpt.com "A Psychological Perspective on Vicarious Embarrassment and ..."
[3]: https://hagamag.com/uncategory/4547?utm_source=chatgpt.com "ヌケメ×HOUXO QUE×村山悟郎|バッドテイスト生存戦略会議 ..."
また、現代ではインプレッション稼ぎに露悪的なものが使われているという記事もヒットしました。これはその通りだと思います。
また、海外のオルタナ右翼(Alt-right)がアニメコンテンツをネタとして使っていて、これも。「アニメなどの可愛いもの+過激思想」で、「オタクだから冗談」という逃げ道を確保しつつプロパガンダしているそうです。これもかわいいものを緩衝材として使うっていう電波ソングやインターネット的なキワモノのスタンスが悪い形で使われてしまっているといえると思います。
はばかられ=露悪はちょっと言い過ぎなものの、「はばかられるものを楽しんで仲間意識を高める方法は、現代では以前より危険なものとして実際使われていて、自分が発信する際にはしっかり考える必要がある」は正しいんじゃないかと思います。
まとめ:「電波ソング」の自由さと倫理をめぐる考察
※今回はChatGPT要約です
この記事では、電波ソングの持つ“自由さ”の背景を、2つの視点から探っています。1つは、フィクションが緩衝材として働き、特に恋愛観や女性的な語りを安全に表現できた「萌え」的な側面。もう1つは、「恥ずかしさ」や「公共性のギリギリ感」を含んだ“はばかられソング”としての側面です。
後者の視点では、赤面や羞恥といった身体的反応を通して、社会規範やコミュニティの構造がどう変わっていくかを捉えることができます。これは、電波ソングを「遊び」や「感性」ではなく、実証的・文化社会的に分析するうえで有効なアプローチです。
ただしこの“はばかられ”構造には、時にジェンダー的に問題のある構造(例:羞恥が男性のスリルとして消費される)も含まれており、笑いを扱うにあたっては倫理的配慮が求められます。
そのためには、「権力側を笑う(パンチアップ)」「当事者の声を制作に巻き込む」「羞恥をそのままにせず批評に転換する」などの実践が重要になります。
記事はまた、ネット文化(特に電波ソング)にありがちな“悪ノリ”が、時に時代遅れのまま更新されず、さらに極右的なプロパガンダに利用されてしまう危険性も指摘しています。
つまりネット文化は、自由で楽しいだけの文化ではなく、羞恥・快楽・権力・表現の倫理が複雑に絡み合う場でもあるのです。
この記事の問題点と批判
上記のように書いたけど、実際この記事には次のような難点があります。どなたか気になった箇所があれば深めてもらえると🙏
①方法論の曖昧さ
「調べてみた」と断りつつ、表に挙げたメリットの裏付けとなる実証データ・事例がほぼ示されていません。ChatGPT 生成のまとめをそのまま引用しており、一次資料の掘り下げが足りないため、議論の再現性が低いです。
②二項対立の単純化
“萌え”と“はばかられ”を並置していますが、実際の楽曲・イベントは両方の要素をグラデーションで共有します。たとえば桃井はるこや ULTRA‑PRISM のパフォーマンスは羞恥と解放の「往復運動」を演出しており、単純な分類では説明しきれません。
③ジェンダー分析の浅さ
「男性側のスリル」として機能する危険性を指摘しながら、実際に女性/クィアファンがどのように受容しているかの聞き取りやフィールドワークが欠けています。結果として当事者視点を代弁する形になり、議論が抽象的に留まっています。
④引用のバランス
海外 Alt‑right のアニメ利用や Benign‑Violation Theory への言及は興味深いものの、リンク先を紹介するだけで枠組みへの批評が薄い。「Alt‑right のプロパガンダに利用される危険」という結論を強調するなら、実際のミーム解析や運動史との比較を示すべきです。
⑤倫理指針の汎用化
パンチアップなどの規範は西洋スタンドアップ研究(Emily McTernan など)から引用されていますが、日本の二次創作同人・DJイベントの文脈でどこまで適用可能かの検証が不足しています。国内の具体例(例:電気グルーヴ以外の実践)を掘り下げないと、提案が一般論にとどまります。
⑥“Cringe”概念の混同
「Cringe pop=ネットの悪ノリ」と位置づけていますが、Cringe には自己アイロニーや失敗美学といった文脈もあり、電波ソングとの同一視はやや乱暴です。