今私は小さな魚だけれど

ちょっぴり非日常な音楽を紹介するブログです

林三博の論考から見る鶴見俊輔の『限界芸術論』

さっきの記事で、(ある意味で自分のベースになっている)鶴見俊輔を批判的に扱ってる意見や論考を探していました。これについて調べてる中で、林三博の『日常的思想とその限界―鶴見俊輔による大衆文化論の軌跡―』という論文の中で、鶴見俊輔が大衆文化などを論じる中で発想が「思考する主体」に寄りすぎているんじゃないかという論考があって興味深く読んでいました。

以上で我々は、[1]京都学派の形而上学を修正すべく方法としての科学にもとづきながら、大衆文化のなかに「ひとびとの哲学」をみいだそうとした 1950 年代半ばまでの〈哲学〉の時期、また[2]そこにあらわれる知識人/大衆という懸隔をさらにのりこえようとした 1960 年代初頭の〈実践〉の時期、そして[3]1960 年代末、〈技術〉の変容とそれをうながした時代の移行のなかでそうした〈実践〉の論理が限界を示時期について検討してきた。

(中略)

だからこそ[2]→[3]でみたように、鶴見の論理からは、主体やその複数形である集団をぬきさった水準で反省の形式がとらえられることはなかったのである。対して同時期に、都市計画をはじめとする社会技術の担い手たちにあっては、それが社会の自己適応論理の水準においてみいだされ、思考する主体を通過せぬかたちでの集団調整という社会設計の議論が組みたてられていったのである。

例えば中井正一の『委員会の論理』について触れている箇所。ここでは今っぽく言うと、中井は思考する主体(個人)の総和を越えた賢さをコミュニティが持つ場合があると論じてるものの、鶴見は個人レベルが強調されていそう(※私も『委員会の論理』は読もうとしたことあるけど消化できなかったw)

中井の「ディア・ロゴス」では本来、コミュニケーションを行う諸主体よりも、そうした諸主体を一段超えたところではたらく協動性の自己運動の方こそが強調されていた。けれども、「指導者/被指導者」に対する第 3 層目として「思想のうけわたしの管理者」の役割に期待をかける鶴見の、「ディア・ロゴス」としてのサークルにあっては、中井理論が含意していた、思考する主体を超えてゆく集団の作動可能性はあまり考慮されない。

また、磯崎新らの「都市計画をはじめとする社会技術の担い手たち」をうまくとらえられないとも論じられています。

こうして鶴見が都市論を構想する頃とは、都市計画の担い手たちによって精力的に都市論が論じられていく時期でもあった。たとえば建築家の磯崎新は「見えない都市に挑む」(1967)と題した都市論において、1960 年代、都市開発のために莫大な資本が投入されていく状況のなかで、都市空間がもはや固定した「断面」としてあるのではなく、「流動する過程」のような姿を帯びていく状況をみいだしていた。都市空間のこうした不確実性の高まりをまえにして磯崎が構想するのは、不断の変化にその都度対応しうる性能をもった、サイバネティックな技術を内蔵した都市計画である。この種の都市計画において不確実性の調整は、都市に住まう人々のコミュニケーションを媒介としてではなく、都市自身が内蔵する自己制御技術にもとづいておこなわれる。ここで注目すべきは、1)主体や(その複数形としての)集団の自己反省や思想との関わりで不確実性の調整が問題とされるのではなく、都市計画に組みこまれた自己適応論理がそれらから切離されて考えられていることであり、それゆえに 2)主体や集団の自己反省や思想に親和的であった言語という技術もまた、自己制御技術などの別種の社会技術との関わりのなかで相対化されていることである。重要なのは、こうした自己適応論理が主体や集団から切離され、それに応じた技術が登場することによって指し示されていたものとは、都市空間における意味論の移行にほかならないということである。

鶴見の〈実践〉の論理は、思考する主体や集団にとどまっていればこそ、こうした磯崎らの都市論や技術の変容の姿、あるいは〈実践〉の論理とそれらと関係をうまくとらえることができないだけでなく、そうした都市論や技術の変容を出現せしめた意味論の変化もまた測定することができない。「しぐさとしての思想」や〈実践〉の論理の時代内的な位置に鶴見が気づくのは、社会の自己適応論理がもはや主体や集団にもとづく思想やコミュニケーションからではとらえきれないと感じるときや、都市計画やデザインの担い手たちが思考する主体や集団を軸としないかたちで技術論を組みたてていく様子をまのあたりにするときである。

「自己適応する都市」っていうと難しいですが、現代ではSNSなどのプラットフォームや、その上で動くレコメンドアルゴリズムも似た役割を果たしているんじゃないかと思います。そうしたときに(私もやりがちなのですが)人間の主体だけを主人公に考えると捉えられないものはたしかにありそうです。

例えばシティポップリバイバルはYouTubeのレコメンドが大きな役割を果たしたと言われているし。限界芸術論も1960年代に再説される際には、もっと個人的なレベルの話になっていたようです。これも森川嘉一郎のオタク文化論と似た印象を受けます。

「芸術の発展」がおおやけにされてから約 10 年がたとうとするころ、鶴見は「限界芸術」を再説するにおよんでそれを、「デザインという言葉を使えば、自分でデザインできるものは何か、ということ」、「自分の会社」や「自分の国家」に対する無力感を感じざるをえない関係に比して「非常に小さいところからアプローチする考え方」[鶴見 1969 : 66]として説明する。つまり、もはや人々が自分では社会をなんら左右できない時代の出現にあって、人々が受動的になってしまうことを防ぐのが「限界芸術」なのだと彼はいうのである。ここにあって「限界芸術」は「集団社会宇宙」という広がりを断念し、思想の複数性の処理へと邁進することよりも「個人」のなかでその不定形性を保存することに活路をみいだしているのである。

ちょっとローレンス・レッシグのCODEっぽいなとも思ったんですが、ChatGPTによると「アーキテクチャ(コード)が固定の柵ではなく、状況に応じて自分で調整する自己適応ロジックになっている」という点が異なるみたいです。これはたしかに…。

ということは、限界芸術論などの「価値が低いと言われているものをちゃんと評価する」系譜(があるとしたらそ)の子孫である我々が、現代でその意義を真に再発見するには、非人間主体のサイバネティックスな思想をきちんと取り入れる必要があるってことになりそうです。難しくね?w