今私は小さな魚だけれど

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おだやかおせち倶楽部でのDJ体験から学んだ、ゆるやかなつながりと直感の力

hearthis.at

日常の中で、私たちはしばしば、一貫性や規範に縛られがちです。しかし、本当に価値ある体験や気づきは、しばしば、その枠組みを超えた場所に存在します。この記事では、おだやかおせち倶楽部でのDJ体験を通して、私が学んだ「例外を愛する精神」と「直感を信じることの大切さ」についてお話しします。これらの教訓は、音楽の選曲や繋ぎ方だけでなく、人との関わり方やコミュニティのあり方にも影響を与えるものです。心を開いて、新たな可能性を受け入れることの美しさについて、一緒に探求しましょう。(by ChatGPTの要約)

こちらのイベントのDJをする際に考えたことをまとめた記事です。哲学とか心理学とかの言葉を引用してますが、全然専門家じゃないのでそういう部分は話半分でお願いしますw

「例外を愛する精神」とゆるやかな繋がり

我々はよく「何かの本質や理念に近いほど良い」と考えがちです。多くのコミュニティもそうした固定の理念に基づいて形成されていると考えられがちです。しかし、何らかの事情でその理念から外れたとき、苦しくなることがあるし、一旦はその価値観に馴染んだとしても、ある程度その分野を極めたときに「これ以上の成長が見込めない、次に何をすれば良いかわからない」という踊り場に陥ることもあります。

そこで私は、鶴見俊輔さんの『限界芸術論 (ちくま学芸文庫 ツ 4-1)』などにあるような、「例外を愛する精神」みたいなものを探していました。鶴見さんはプラグマティズムという哲学の分野がベースになっているそうなので、『アメリカ哲学 新装版 (講談社学術文庫 748)』という本で創始者の一人のジェイムズについて次のように語っています。

ジェイムズのプラグマティズムにおいてもっとも重要な特色は、「例外を愛する精神」である。何かの法則を示す場合にそれの当てはまらない事実はないかと根気よく探すし、もしそんな事実が見つかれば、自分の顔がつぶれるにもかかわらず虚心に喜ぶという態度である。これは一つ一つの事実に溺れるような愛情からきている。

私もうまく説明できないのですが、DJをするときにも「セットリストの全体で固定のテーマ(本質)がある」に注目するよりも、「例外的な楽曲を繋いで、既存にあるものとの共通性を見出して張り合わせていく方法」に注目しています。私は「一貫性にこだわりすぎるのは、狭い心の現れである」というプログラミングの格言と、その元ネタ(?)のエマソンという思想家の言葉が好きなのですが、全体の一貫性より個々の貼り合わせ方に注目したほうが、自分でも気づかなかったより大きな世界観のものが表現できると思ってます。

また、ジェイムズのこの考え方が、違う意見や出自の相手とゆるやかな繋がりを持って連帯できるような考え方につながるものだと思っています。うまく自分もわかってないんですが、コミュニティの内外を分けずに、良い距離感で他人と関わってお互いにいい方向に変化していけるような考え方の鍵じゃないかなと思ってます。ちょうど読んでた「名著66 「維摩経」:100分 de 名著」の「空」の発想に近いものも感じます(が考えすぎかもw)。

「理想の生き方は、世俗社会で生きながらもそれに執着しないこと」「すべては関係性によって成立しており、実体はない」「だからこそ自らの修行の完成ばかりを目指さず、社会性や他者性を重視せよ」。維摩の主張には、既存仏教の枠組みさえ解体しかねない破壊力があります。それどころか、現代人の私たちがつい陥りがちな「役に立つ・役に立たない」「損・得」「敵・味方」「仕事・遊び」「公的・私的」のように、全てを二項対立で考えてしまう思考法をことごとく粉砕します。その結果、全てを引き受け苦悩の世の中を生き抜く覚悟へと私たちを導いてくれるのです。

「かわいい」の両面性

このときお呼びいただいた会場のおだやかおせち倶楽部先輩にも同じような「例外を愛する精神」を感じていました。店主さんは「かわいい」がコンセプトでフィーリングでやっている(笑)と説明していたのですが、九鬼周造が『「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)』で「粋(いき)」という言葉にも近い両面性があるような気がしています。

「いき」の構造 | 九鬼周造|Keio SFC Matsukawa Lab

「いき」は媚態ではありながらもなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識である。

九鬼周造は上のような言葉で表現しているのですが、要は「媚びている面と反抗している面が両立している」ものが粋でかっこいいって言ってると私は受け取ってます。この「かわいい」という言葉にも、(「異性に対して」というより)コミュニティや主流の価値観に馴染めない反抗している面と、それとそれを慈しんで包摂しようとする動きの両面の意味があって、同じようなかっこよさがあると思います。

おせち倶楽部での「かわいい」という言葉の両面性は、なかなか他では見ないものだと思っています。同じように「かわいい」をコンセプトにした店でもなかなか無くて、私もうまく説明できないのですが、例えば主流文化に対する反抗心みたいなのもあまりなくて、媚びている部分と自己主張する部分がうまく両立しているように感じています。意外と女の子だけでなく(自分も含めて)近所のおじさんとかも立ち寄っているのもそのせいだと思ってます👨

おせち倶楽部でのDJで表現しようとしたこと

古くからの電波ソングファンは「〇〇は電波ソングではない」「電波ソングの本質は〇〇だ」という論争をしていたのを思い出すと思います。ただ、私は電波ソングというジャンルも「例外(変なもの)を愛する」こと自体が本質で、固定的な意味を究明しようと考えるほど逆に電波ソング特有のゆるさが無くなってつまらなくなる気がしています。

そこで私は次のような考え方でつなげました。

  1. まず「誰にとっての電波ソング」か、視点によって複数の意味があることを認める。これはネルソン・グッドマンの『世界制作の方法』の「ヴァージョン」の考え方を踏襲してるつもりです。
  2. 次にキュビズムのような発想で、mixの途中で何度もむしろ複数の視点(ヴァージョン)を切り替える。

これで一つのmixの中に複数人格があるような気持ち悪さを演出しています(大げさにいうと上にあるような「かわいい」の考え方で、(ネオ)プラグマティズム反本質主義を表現しようとしてるつもりです)。それによって、おせち倶楽部にある他の文化への敵対心のなさや親和性、でもどの視点から見てもそれに収まらずにどこか反発するものがあるかっこよさも踏襲して出そうとしています。

また、一貫性がなくなりすぎる懸念もあったので、BPMをほぼ150に固定して一般的なアップテンポのDJで崩しすぎないようにした点と、おせち倶楽部でDJするのは二回目なので、前回のセットリストで使った曲は使わないようにした点も工夫しています。

解像度を低くして直感を信じる

最後はやや違う話をします。以前「電波ソングらしいDJのやり方」という記事に次のように「特に電波ソングのDJをするときには、直感を信じて繋げてあえてぶっこむことで面白さが生まれるんじゃないか」という趣旨のことを書きました。

そもそもアニメやコミックの文化が、ある意味軽薄に、そういう他人とズレてる部分を楽しむスタンスを含んでいるはずだと思います。特に(自分たちより上の世代の)海外の日本アニメファンは、fansubでいろいろなアニメをチャンポンして見ているせいかそういうノリが強い気がしてて、私はこれはなんか有用な考えを含んでるんじゃないかと思ってます。

自分はこの「直感のうまいはたらかせ方」がわかっていなかったのですが、答えの一つとして「あえて解像度を下げて見直してみる」というような発想ができるんじゃないかと思ってます。

これは、この記事と同様に河合隼雄さんの『定本 昔話と日本人の心〈〈物語と日本人の心〉コレクションVI〉 (岩波現代文庫)』の「老婆と美女」という章に、「似た話でも日本の昔話は異界(人間に化けた動物)側の立場に寄って語っているものも多い。日本には半目のほうがよくものがわかるって考え方があんじゃないか」みたいなことが書かれていて思いつきました。

この点を心理学的に解釈すると、日本人がその世界を見る目は、(特に西洋に比して)意識の中心というよりはむしろ無意識的な深層の方に位置していると考えられる。もっとも「目」という限り、それは見るはたらきをするものなので、まったく無意識ということはあり得ない。従って、無意識内の目という表現は自己矛盾をしているわけだから、「半眼の目」とでも言うべきであろうか。はっきりと見開いた目よりも、半眼の目の方が世界をよく認識し得るという思想が、そこには存在しているように思われるのである。

同様に、その場の雰囲気や文脈を使って、あえて解像度を下げた発想で意外性のある繋ぎができるんじゃないかと思ってます。例えば、「サクラあっぱれーしょん→アキバに行くのん!→恋のブログはポンチャック」は「和風→中華→韓国のジャンル」でしかなくて、音楽ジャンルとしてはかなり解像度が低いと思います。ただ、おせち倶楽部ではタイ王国仕入れたグッズも売っていて、なんとなくアジアっぽく無国籍な店の雰囲気でごまかせるかなと判断しました😅

「しすたーうぉーず→恋はマケテラレネーション」は、「戦争→イントロのウルトラ警備隊出動のモチーフ」の連想と「なんかベースの感じが似てる」っていうよく考えると特に意味ないんじゃないかという繋ぎです😅 あとその後の「卒業しないで、先輩」も、よく考えると古いアイドル感で繋いでるだけで電波ソングなのか微妙なラインですが、「にんぢんさんが大阪離れる=卒業」の連想でゴリ押ししてます。

つまり、「選曲に行き詰まったら、解像度を下げて『その場の雰囲気や文脈に合ったもの』を直感で選んでゴリ押しする」ことで意外性を出せるって方法はあるのかもしれません。

また、ちょうど同じ日に青山メリヤスさんという、『バイトやめる学校 (SERIES3/4 1)』という本に触発されて古着をつなぎ合わせて制作してる方がポップアップショップをされていました。その場を利用してアイカツフレンズの「アイデンティティ」という、コラージュした服装でかつ自己がしっかりしている変わったキャラが歌っていて、なかなか流す機会の無い曲を入れられて嬉しく思いました。

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まとめ

(面倒になってきたのでChatGPTにまとめてもらいましたw)

この記事では、おだやかおせち倶楽部でのDJ体験を通じて感じた、心温まる教訓についてお話ししました。以下は、私がこの体験から学んだことの要点です:

  • 例外を愛する精神:一貫性や規範に囚われず、個々の現象や事象をそのまま受け入れ、新たな可能性を見出す心が大切だと感じました。
  • 解像度を下げて直感を信じる:細かい部分に囚われすぎず、大きな視点やその場の雰囲気を重視することで、予想外の創造性が生まれることを実感しました。
  • ゆるやかなつながりの大切さ:人との関わり方やコミュニティの在り方において、一人ひとりの個性や例外を尊重することが、豊かで多様な交流を生むことにつながります。
  • 「かわいい」の両面性:「かわいい」という言葉には、媚びる面と自己主張する面が共存しており、そのバランスが魅力を生むことを感じました。

この体験を通じて、音楽や人との関わり方に対する新たな見方を得ることができました。これからも、学んだ教訓を活かしながら、音楽やコミュニティ活動に取り組んでいきたいと思います。

(ChatGPTはここまで)

ただ、「にんぢんさん送別会倶楽部」だったのに、にんぢんさんの方法や雰囲気をあまり入れられなかったのは申し訳なく思っています。にんぢんさんの方法はあまり正体がわかってないので今後調査します👀