今私は小さな魚だけれど

ちょっぴり非日常な音楽を紹介するブログです

7/2 17:30~ 埼玉のイベント『ナードきのこハウス(突発) ( #NKHouse )』でDJします

お久しぶりです。久しぶりにイベントに呼んでいただきました。

さいたまの浦和に7/2です。よろしくお願いします。

ところで、私は最近プラグマティズムの哲学者にハマっています。

そこで、今回は鶴見俊輔をリスペクトして「電波ソングと限界芸術論」をテーマにし、「アマチュアの制作やコミュニティが電波ソングの歴史の関係」みたいな発表内容で、初期の同人音楽などを中心にまとめてたんですがちょっと力不足でまとまりませんでした。ここから戦後のコミックソングなどとも繋げられると面白いと思っているのですが今後の課題とします。

そこで、今回はチャールズ・パースの記号論のDJへの応用可能性を探るつもりです。

パースには「人間の思考をすべて記号処理として表現する」ような哲学の構想があったようで、その記号論も「曖昧になりやすい表現についての議論を、どう論理的な体系に組み込むのか」という問題意識があったように感じてます。記号論(または記号学)と呼ばれる分野はソシュールが有名ですが、パースの体系はそれとは別のもので、シニフィアンシニフィエ(パースの流儀だと対象と記号)の他に解釈項(誰の視点か)という項目があることが特徴だそうです。

そこで、今回は広い意味での「崇拝」をテーマにして、ある人(解釈項)からある人や対象(対象)への「崇拝」とか「信仰」という関係性を保ちつつ、曲のテーマでその主体や崇拝対象そして「どちらの視点から歌われているか」を挿し替えることで、「恋愛」とか「専制君主による危機」とか「祈り」みたいな意味合いにスライドさせようとしています。あまり詳しくないので適当なことは言えませんが、ソシュール流は記号同士の差異に注目する印象がありますが、パース流は解釈する人(解釈項)に注目するのでこういう使い方はやりやすそうです。

(…と思ったけど、曲にある記号について現実の誰かが解釈することじゃなくて、歌詞の世界の中の登場人物から別の登場人物との関係性で用語を使ってるのでパースの解釈として合ってるかは自信はなくなってきましたw)

このようなアプローチで、歌詞のおかしさを狙っている電波ソングコミックソングならではのDJ表現ができるんじゃないかと思っています。その際には割とこういう論理的な構造(?)に注目する方法が役立つような気がしています。なんかどっかにこういう芸術論ありそうな気もします。もうちょっと粗く書くと、具体的には次のような方法になりそうです。

  • 曲の中の登場人物の関係性(今回は「崇拝」)は固定して統一感を出す
  • 「誰から」「誰に」と、曲を描く「視点」のどれかをスライドする
  • それによって、元の曲にない別のニュアンスや意外性を出す

また、DJに全く関係ないところでは、パースは論理学にも強い哲学者で、科学的な発見のための推論方法を定式化したアブダクションなどの考察は普通に役に立ちそうだし、プログラマー視点だとブール代数に似た体系を独自に発見してたりしてアツいです。おすすめ。

以上です。当日は楽しみましょう。