今私は小さな魚だけれど

ちょっぴり非日常な音楽を紹介するブログです

でんぱあぐれっしょん セットリスト解説 〜浄土編〜

前回の記事に引き続いてのセットリスト解説です。週末電波音楽夜会セットリスト解説に引き続いてちょっとアレな人にも見えそうですが、誰かの役に立つかもしれないと思って残しておきます。 hearthis.at

※ChatGPTによる要約

この記事では、DJとしての挑戦として「宗教的なモチーフ」を用いた独自のセットリスト構築に焦点を当てています。独特な曲の選び方や、そのつなげ方によって、聴衆に対してメタメッセージを暗示する試みが詳細に語られています。また、イベントの流れを妨げることなく、宗教性という深いテーマをどのように取り入れていくかについての考察が展開されています。この記事は、音楽と宗教的要素がどのように融合し、新たな体験を創出するかを探求するものです。

また、一応言っておくとなにかの宗教団体とかにハマってるわけではありません。

これまでの我々のDJの特徴

あの手番の私には「実験的なことをしつつ、盛り上がっている流れは止めない」という一見矛盾した課題が求められていました。それは今回のイベントの私の手番を考えると次のような制約条件があったためです。

  • 「アグレッション」というタイトルから、自分たちにとって実験的なことをすべきだ
  • 有名な作曲者のゲストに挟まれているので流れを止めないほうがいい

以前電波ソングらしいDJのやり方という記事に次のようなことを書きました。

にんぢん(@11yrs_old)さんが「自分たちはDJを漫才と勘違いしてる」みたいなことを言っていた

私はこれを八王子Gluckのおーでぃんぱらだいすというイベントで学び、今回のDJでもすが藁さんのセットリストの「あたまのよくなるやきそばのうた」の後のナポリタンの動きなど、関東から呼ばれたDJはそういう歌詞の内容でのつなげ方が特徴だと思います。

そういうコンセプチュアルな方法を更に発展させる方法として、私は最近「個々の楽曲を繋げつつ、その裏でメタメッセージを暗示する」ような方法ができないかを試そうとしています。以前、週末電波音楽夜会セットリスト解説で(ここまで明確に言語化できてなかったですが)トライしようとして、コントロールできてなかったものです。

そういえば、最近次のようなツイートを見かけました。

この言う通りなのですが、自分はむしろ音楽そのものを深堀りすることはそれほどせず、組み合わせたときの余白としてメタメッセージを送ろうとしていると思います。その余白を考えるときに、音楽の外部から「何らかのモチーフ」を入れられると一貫性と意外性のあるものが生まれるように感じています。(ここからかなりきな臭くなるのですが)今回は「宗教的なモチーフ」を使ってます。

これはおだやかおせち倶楽部でのDJ体験から学んだ、ゆるやかなつながりと直感の力で書いた「解像度を低くして直感を信じる」に近い感覚でやってます。宗教的なものはある意味で人々の体験を過度の一般化したものじゃないかと私は思っていて、直感と相性がいいものが多いように思ってます。

また、統一感を出すための方法はこれに限らず、ある程度の「人格」を考えられれば十分かもしれません。例えば友達(の中で自分の側の鏡にも映った共通部分)が好きそうな曲を基準に選ぶとかもできるはずです。そうすると、一貫性はありつつも厳密なルールの堅苦しさがない、ちょうど良いラインになると思ってます。

「宗教性」との付き合い方

最初に要点をまとめると、今回は次のようなやり方をしたと思います。

  1. イベントのセットリストにある制約条件や伝えたいことを把握する
  2. その内容に近い宗教的な「人格」を使ってイメージを広げる
  3. そこで暗示したものを日常言語に直して危険なものになってないか確かめる

今回、かたほとりさんのセットリストが「友達」の曲から始まっていたため、そこに流れを渡したほうがいい制約はあったため、「不請の友」からの連想で、仏教のとりわけ浄土教のモチーフを引用することにしました。

(また、私も宗教的なものを意識することはほとんど無いため、今までの人生で知ってるのがナンマンダブナンマンダブ念仏唱えてる婆さんくらいしか思いつかなくて一番自然にできそうって意味もあったと思います)

ja.wikipedia.org

そういう「人格」を自分なりに理解しようとしたとき、私は「その人が世界のどこに希望を持ってるか」という部分に注目すると良いと思ってます。それは半分合理的でなくて、哲学とか宗教性だと呼ばれていることが多いと思います。つまり、ここで設定した「人格」は「自分に好意的な他者や未知の関係に希望を持つ」ようなものだと理解していました。

(また、宗教的な分野でなくても、例えばプログラマーは「世界をより良くできるとしたら新規技術で発展させることだ」みたいに考えている人も多く、意識している人は少ないですが、誰でもこの意味ではある程度の宗教性は持っていると思います。)

宗教的な言語は「過度の一般化」でもあるので意図せず危険なメッセージにもなりがちです。ただ、このケースだと「西方浄土にいる阿弥陀仏(不請の友)による救済」みたいなイメージは、日常言語に直すと「なんかあんまり自信なかったけど、自分のDJが妙に評価してもらってて大阪から急にイベント呼ばれたけどめっちゃ楽しいやん!みんなも友達作ろうな!」っていうパリピのメッセージだし、イベントにも合ってるので大丈夫だと判断しました。

これは余談ですが、このあたりはウィリアム・ジェームズの考え方に影響されてる気がしていて、「宗教性は個人の内面にあるものだ」という近代的な発想や、「どこに希望を持っているのかに注目する」「日常言語に直して良し悪しを確かめる」とかはそれぞれ「信じる意志」と「プラグマティズム」の発想に影響されてる気がします。

「宗教性」を使ったDJの組み立て

こちらの記事の中で書いてないモチーフ部分をメインに説明します。

sakana38.hatenablog.com

お邪魔しま stay me」は、明確に「不請の友」のモチーフを打ち出したつもりです。「会いに来てあげたよ」という歌詞がメインテーマであるのと同時に、「友達いないし」とか「きっと寂しかった」は友に会う前の状態で、ここから徐々に人間関係を構築するモチーフを入れてます。

ここから寂しげな歌詞の曲を数曲繋げてます。その後の「ONE NATION UNDER THE DEMPA」の「発信された記号暗号メッセージ」はこういうメタメッセージを入れた作り方をしてるって意図でもありますが、結局は「急にイベント呼ばれたけどめっちゃ楽しいやん!みんなも友達作ろうな!」っていう浅いメッセージですw

人間大統領」「頭狂アンダーグラウンド」「人マニア」あたりは末法感を出してます。このときと同じく、自分たちのようなネット文化の中に(悪い意味での)批評家精神があって、後で悪人正機的なイメージに繋げたつもりです。

その文化には「他人のズレている部分を外から批評して楽しむが、自分自身の考えは出さない」という矛盾があると思います。

ここまでで一度自分の中に閉じた世界観が極まってしまって、「マダマニア」はそこから色合いを変えて「他者」を考えた世界観に移行する意図があります。「まだ間に合う」って呼びかけているのはこの時点では誰か分かりません。ただ「人間大統領」とかも @yamamotoshuujiに勧めてもらった曲でもあって、内輪向けの意味では友人の意味合いは入ってます。

また河合隼雄の引用なのですが、明恵についての本で、「12歳くらいで一度人は人格が完成する。そこから性(他者)の問題が出てきて、閉じた世界が崩れる問題と対決しなければならない」みたいなことを言ってました(※明恵自体はむしろ浄土宗の法然と対決した人ですが)。難しいですが、私は「(年齢の妥当性はともかく)人は完全に理解不能な『他者』とどう関わるかという自分なりスタンスを身につける必要がある。それ無しで閉じた論理だけの人は未熟だ」って意味で捉えてます。

She・Know・Be~恋の秘密~」は繋げ方に困った箇所です。ここにあるとおりの意図はある気はします。

  • 「世を忍ぶ仮の姿」がネット上の自分たちの関係に合ってそう
  • 16bitセンセーションにつなぐためにエロゲの曲にしたかった

65535」「BPM15Q!」には「モニター」っていう歌詞があって、これは別世界からのメッセージを暗示していて、「モニター越しの別世界のこ」は「遠くにある浄土での救済を待ち望んでいる」みたいなニュアンスを出したつもりです。先取りすると「イミグレーション」でも「モニター」という歌詞が出てきて、もっと浄土=死に近づいて不穏さを出すのに使ってます。

Digital Life Hacker」はこの視点だと一気に明るくしすぎたかもしれません。このセトリではおおまかに「孤独で自分の中に閉じた状態」から「友達(他者)と適切に関係して状態」へ徐々に発展していく流れにしたつもりですが、ここで一旦仲間たちを歌った曲を入れたのはこの視点では少し不自然かもしれません。でもこのあたりで「ハイ!ハイ!」っていうコール&レスポンスを入れた曲で盛り上げたかったのはあります。

はーてにゃ?」は大阪だからですw ただ強いていうと外の世界に興味を持ったイメージで流れには乗ってるかも。「Caramelldansen」はネットミームで盛り上がった流れは引き継いで、「INTERNET OVERDOSE」は盛り上がってるがもう一回閉じた(本当の意味での他者のいない)関係になってしまう。そして「イミグレーション (feat. Yunomi)」はモニター越しの一対一の関係にまた閉じてます。

ラビットホール」はもっと猥雑な他者の話です。「死ぬまでピュアピュアやってんのん?」で前の曲のモチーフを打ち破ってるつもりです。

ツいてて☆ラッキー」は他者のモチーフを引きずってますが、タイトル通り「なんか運がついててありがたい」って話で、要するに「閉じて考えてたけど、意外と人から好かれてるな。ラッキー!(なんで好かれてるのかはよくわからんけど!w)」みたいな意味です。「他者」を近づきがたいものじゃなくて、意外と自分に好意的で対応可能なものとして見てるのは浄土思想的な感覚はあると思います。

究極的な絶対他者というのは、人間の方から関わりを持とうとしても、常にその関わりを超えたところにあるものです。そもそも「存在」とか「無」とかを超え、人間の把握を超えているはずです。したがって、究極の絶対者というのは、我々の側からは捉えようもなく、関係を持つこともできません。関係は、神の側から一方的に与えられるものであって、我々の自由になるものではありません。しかし、清沢の見出した他者は、逆に我々に関係するものとしての他者だったのです。それは端的に、「私共が神仏を信ずるが故に、私共に対して神仏が存在するのである」(「宗教は主観的事実なり」『全集』第六巻二八四頁)というように、関係を存在に優先させるという他者の捉え方です。

(一方で、こういう関係性は他者からの厳しさに欠けている面はあると思ってて、「(阿弥陀仏の慈悲になぞらえて)地にある女性的な役割に甘えているんじゃないか」って側面はツッコミの余地があると思います)

時雨ディクショナリー」の「きっと答えは見つかるよ ハッピーエンドのヒントをあげる」は「ONE NATION UNDER THE DEMPA」の「発信された記号暗号メッセージ」に対応しています。第十八願のイメージから連想して引っ張ってきました。

私が仏となる以上、(誰であれ)あらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるならば、(その間、)私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪を犯す者と、仏法を謗る者は除くこととする。

エロチャ宣戦布告」「愛のブリッツクリーク -電撃大作戦-」は、戦争のモチーフのあるエロの曲を通して、コントロールできずに完璧ではなく末法の一部である自分と、それでも意外と好意的な他者からの呼びかけがあるという救済の側面で、穢土と浄土を並列で描くことをしたつもりです。

占勇!魔界ブロードバンド」で占領されて、「まっさかさマジック!姫様“拷問”の時間です)」で戦争にも負けて荒んだ世になってます。ただ、この裏で頑なな世界観が開いたことも表してて、「世界のドアはきっと 思いの他そばにある」とか好意的な他者からの呼びかけから良い影響を受けていることも表現しています。

『起信論』を読んでいると、右を向かされたり左を向かされたり、いったいどちらの方向が正しいのか、と言いたくなってきますが、そのようなところが私の臨床経験と一致するのです。仏教の教えを説く人は、仏心の素晴らしさを強調するあまり、それと対立するものとして現象界の妄念を攻撃しすぎるように私は思います。単純に言えば、「自我を無くする」努力を重ねることによって「真如」の存在を知ることができる、と主張しているように聞こえます。(中略)ともかく、私は『起信論』によって、意識の表層にも深層にも同時にかかわり、外的現実のこまごまとしたことをすべて大切にしつつ、同時にそれら一切にあまり価値をおかないような、矛盾をかかえこんだ、私の心理療法の態度を、支えられたように感じたのです。

この本の中の『大乗起信論』の解説が面白くて、ほとんどサッパリわからないんですが、「日常的な心のあり方(衆生心)は迷いの世界だが、一方で悟りの世界とも繋がるものだ。カウンセリングでも実際にその間でジグザグ進む感覚がある。だから単純に迷いの世界を捨てるのは間違ってて、一見矛盾した心持ちが大事だと思ってる」みたいなことを言ってると思います。この「ジグザグ進む感覚」を「穢土と浄土を並列で描く」ことで表現して、「世界のドアはきっと 思いの他そばにある」で自分たちのささやかな趣味に対する希望や祝福を歌ったつもりです。

よいまちカンターレ」と「なかま歌」では素直に友達の歌詞です。ただ「あの頃と同じように」は序盤の「ONE NATION UNDER THE DEMPA」を踏まえてるし、なかま歌によってうまく全体をまとめられていると思います。

www.youtube.com

あとがき

※疲れたからChatGPTにまとめてもらった

さて、今回の記事を通して、一見深くて複雑に見える宗教的モチーフを用いたセットリストの背後にある、実はとてもシンプルな思い「ウェーイ!意外と俺のDJの評判良くて呼んでもらってうれし〜!w」という心境を共有できたかと思います。このような表面的には深いテーマを扱いながら、本質的には親しみやすく、日常的な喜びを分かち合うというスタンスは、私たちがどれだけ宗教的な概念や哲学的な考察を引用しても、最終的には人間らしい感情の表出に他ならないということを教えてくれます。

DJとしてのセットリスト作りは、ただ単にトラックを流す以上のものです。それは、参加者一人一人の心に何かを響かせ、共感を呼び起こすための手段となります。今回の実験では、宗教性という深遠なテーマを通じて、その効果を試みましたが、結局のところ、イベントが楽しいと感じてもらえるかどうかが全てです。そして、「意外と好評でうれしい!」という、どこか軽快で気楽な心の内が、読者にとっても共感の余地を与えることでしょう。

DJとしての挑戦は続きますが、その核心には常に「人々を楽しませること」が存在します。今回のセットリストの裏にあるメッセージが、皆さんにとっても何かのインスピレーションとなれば幸いです。楽しんでいただけたなら、それ以上の報酬はありません。これからも、私のDJとしての旅は続きますので、どうぞお楽しみに!